2020年07月15日
一度は訪れたい名所☆
萬蔵稲荷神社
参道には百基余りの朱塗りの小鳥居が建つ。
地元では、
『萬蔵(まんぞう)さん』 の愛称で親しまれている。
所在地:宮城県白石市小原字馬頭山6番
宇迦能魂命
ウカノミタマは、日本神話に登場する女神。
神祇 国津神
全名 宇迦之御魂神
別名 倉稲魂命
別称 稲荷大明神、三狐神、御食津神など
神格 食物の神
父 須佐之男命、伊弉諾尊、八杵命
母 神大市比売、伊邪那美命
兄弟姉妹 大年神
神社 伏見稲荷大社など
参道から100数基余りの朱塗りの鳥居が続く神社で、馬方をしていた萬蔵という人物が旅の僧から馬3頭を授かり、それを元手に稲荷神社を建てたという由緒が残る。萬蔵はそののち自らも修行し、出羽三山から大阿闇梨金剛院祐観の院号を受け、後には即身仏になったと伝えられている。熊谷家に生まれた万蔵は、小坂峠を中心に馬方をして暮らしていたが、ある時峠の頂上で旅に疲れた老僧に一食を求められ、老僧を馬に乗せ我が家にて心からのもてなしをしましたが、翌朝早く老僧は姿を消してしまいました。万蔵が昨日の峠にさしかかると馬のいななきが聞こえたので見てみると、昨夜の旅僧が立っており、「私は稲荷神社の化身である。昨夜は殊勝な心掛けであった。」と礼をのべ馬三頭を与えられました。万蔵はその後、この馬を金に代えて、稲荷社を建て、自らも修行し、出羽三山から大阿闇梨金剛院祐観の院号を受け、後には即身仏になったと伝えられている。
鎮座年代は不詳であるが、奥州山中七ヶ宿街道(旧羽州街道)の此所の地名をとり賀良明貴稲荷と称した。現社名は、熊谷家(現宮司家)15代目羽黒派修験者大阿闍梨金剛院祐観こと熊谷萬蔵の名が付いたものである。萬蔵は羽州街道の難所の一つの小坂峠を行通う人々を助け賀良明貴稲荷の宮守として修験者として難行苦行を重ねた。修験者としての修行と業績は出羽三山の認めるところとなり、大阿闍梨金剛院祐観の院号を授与された。熊谷家は鎌倉時代からの金剛院修験の家柄であり、萬蔵は15代目であった。
萬蔵は神仏の信奉生活と社会への奉仕に明け暮れ生涯を終えた(維時弘化4年)1847年6月27日、81歳であった。遺言により3年3ヶ月後に墓は開かれ、萬蔵は即神即仏(ミイラ)の姿となって村人の前に再現され爾来、金剛院祐観の高徳を尊び慕う村人、信者達は萬蔵の信仰し守りつづけた賀良明貴稲荷様をいつしか萬蔵を含め萬蔵稲荷様と崇め称えるようになった。明治時代に入り萬蔵稲荷神社と改称、村社と成り現在に至る。
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